■ 北里義之氏による『梅津和時、演歌を吹く。』評。2009.1.18

 世界各地の歌を翻案した,きわめて雑多なスタイルの寄せ集めからなる日本語歌謡の世界にあって,アメリカ文化の圧倒的な影響下にあった敗戦後の庶民感情を,ナショナリズムとルサンチマンによって支えたのが演歌だった。女であれ男であれ,敗北していくものたちがその身に刻みつける負の感情を,極端なまでにデフォルメして歌う独自のスタイルは,敗戦によってアイデンティティーのよりどころを失い,ひたすら鬱屈するしかなかった日本人の集合的なエネルギーを,大衆歌謡に昇華して吐き出させる文化装置として働いたと言えるだろう。日本語歌謡が「歌謡曲」と呼ばれ,歌手も聴衆も,フォークソングや J-POP などによっていまだ細分化されていなかった時代,敗戦から戦後復興という人々の共通体験によって,「日本人」らしきものがぼんやりとでもイメージできた時代の歌の記憶である。周知のように,氷川きよしや黒人歌手ジェロが活躍する現代演歌の世界は,楽曲の徹底した洗練とスタイル化を重ねた果てに,もはや一種のパロディーにしかならないというポストモダン状況にさらされている。
 国際化される演歌──梅津和時の『梅津和時,演歌を吹く。』も,ナショナリズムが無傷で生き残ることのできない時代の趨勢を,敏感に感じとったものであろう。ただしアルバムのありようは,そのような演歌ばかりを集めたり,演歌の現状に切りこんだりするところにはなく,歌謡曲の最盛期に誕生した数々の名曲を,独自に選曲したスタンダード曲集になっている。キーワードは息と泣きだ。その意味では,タイトルの「演歌」は,特定のジャンルやスタイルをさしたものではなく,日本人の記憶に残る強力なメロディーというような幅広い意味をこめたものと思われる。リード奏者としての梅津和時の活動に即してみれば,はるか昔に篠田昌已(故人)経由で触れることになったチンドン音楽にまで,演奏の系譜をさかのぼることができるだろう。ソロという演奏スタイルも,たったひとりで町を流す演歌師だとか,チンドンの道行きを彷彿とさせるものだ。
 言葉のない歌。無言歌。固有の感情をのせることで楽曲にオリジナルな形を与える声や,身体をダイレクトに打つリズムが不可欠な歌の領域にあって,息だけが頼みのソロ演奏は,演奏者に大胆な冒険を要求する。個々の楽曲に触れる余裕はないが,歌手たちは,いずれも歌の物語を切々とかき口説きこそすれ,泣き女,泣き男として,歌に手放しの感情移入をしているわけではない。むしろあっさりと歌うことを心がけている場合のほうが圧倒的に多い。そこには確固とした歌の文法,声の文法があるからである。いうならば,私たちが漠然と抱いている印象とは裏腹に,演歌は,フレーズのレベル,単語のレベルにいたるまで,きわめて論理的に構築された作品なのである。どんなにみじめな感情が歌われていても,歌の気品,歌の格が崩れないのはそのためだ。物語を語る声のバラエティがない場所で,梅津の泣きの表現はやや一本調子になり,かわりにダイナミックなスピードの緩急と,エロチックなまでのメロディーへの耽溺,そして身体の爆発的な表出が,聴き手を歌の前に釘づけにする。
 なかでも日本の演歌歌手たちにもよく歌われる韓国民謡「ペンノレ」は,70年代に李成愛(イ・ソンエ)が登場してきた頃の演歌源流考を思い出させ,日本固有の歌謡ジャンルと思われている演歌が,実はアジアの歌謡圏に開かれたものであることをそれとなく示唆する重要な選曲である。漁師歌であるところから,メロディーよりリズムが本質的な役割を果たすこの曲で,金石出との共演経験もある梅津は,リズム・フリーになった息の饗宴のなかで,聴き間違いようのないパンソリの(ホジョクの)バイブレーションを採用し,友人でもある韓国人の声に寄り添いながら,その感情を内側から生きようとしている。黒人ジャズを聴きとってきた耳が,このようにして韓国の声に応答し,日本の演歌までも開いていくということ──戦後史をいっきに凝縮してみせる梅津和時のイマジネーションのジャンプにこそ,私たちは日本ジャズの成熟をみるべきだろう。


CGI-design