・・・高柳昌行と佐藤允彦はそれぞれ独自の仕方で、ある役割、すなわち挑戦者であるばかりでなく、共犯者でもあり、分身でもあり、同時に陰画でもあり、また、そこにいるという重みだけで、消し去ることのできない反駁者としての役割を演じる方法を見出している。一言でいえば、この2人は他我であるための十分な包容力をもっており、この他我において翠川は自らを反映し、そうすることによって自らを組織するわけだが、しかしまた、この他我において、彼は間断なく、そしてきびしく自らに問いかけてくる。譲り渡すことのできない変質性に出会うのである。・・・・(清水俊彦ライナーより抜粋)